医者と薬を遠ざける「ふくらはぎ」習慣 縮退で考える健康・社会・生き方 (SB新書)
- 作者: 小池弘人
- 出版社/メーカー: SBクリエイティブ
- 発売日: 2014/08/28
- メディア: Kindle版
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読みながら、途中何度も
「この本、ふくらはぎの本だよね?」
と問う。
ふくらはぎから社会が広がる。
川の流れは止まると腐る。流れていれば腐りません。水が流れてさえいれば、ばい菌は発生しないわけです。
つまり、動いていれば、腐敗したり、病的なものは発生しにくいーーーこれは一般的な自然の摂理と言ってもいいでしょう。
団体行動をしている人間も同じ。動かない人がプラークとなって、それがどんどん増えて動脈硬化。最後に梗塞が起き破裂する。
ふくらはぎをもむことにしても、やり方や回数を過剰に気にする人は、何か根本的な不安にさいなまれているのかもしれません。あるいは、熱心なようでいて、無意識にやらない言い訳をつくろうとしているのではないかと、そんな疑問を感じさせる人すらいます。
やり方に関してやたらに質問の多い人は、自分の感覚を全く信じられない人である可能性が大いにあります。自分自身のなかにものさしを持たない人ーーーこれは健康問題として、実は根が深いです。
運動することも「週何回やれば?」って必ず聞かれる。「時間がない」って言う人ほどあいまい。
「納得してからやる」のは、「納得しないとやらない」と同義ですよね。ときには、得心するまでじっとしているのではなく、「まずはやってみよう」という発想も必要ではないでしょうか。
ヨガなんて、納得してからやろうなんて思ってたら、その前に死んじまうわい。
やれる人とやれない人、あやふやを飲み込める人と飲め込めない人ーーーこの違いが健康寿命を大きく左右するのだと思います。
人に説得されてじゃなきゃやらない人は、いったい誰のためにやるのか。
いろいろな型を知っている人の方が、さまざまな動きができる。むしろ、変なパターン化にはまりにくいでしょう。つまり、型は自由に動くためのツールとも言えます。型によって自由になり、型がないと型にはまってしまうーーー逆説的な話しです。
普段の練習やフォーメーションはそのためにあるんでしょ。本を読む事もしかり、いろんな引き出しがある人が強い。
身体論について、常に一定の関心が集まるのは、感覚よりも理屈が上位に来ると言いますか、理論を優先しがちな世の中に対する、アンチテーゼという側面もあるかもしれません。
「 ためしてガッテン!でこないだやってた!」って高齢者は多い。
「合っている」「間違っている」などと外側に転がっている理屈でジャッジするより、すぐにふくらはぎをさわってみるとか、見聞きしたことがいいと思えば、さっそく試してみる。こうした行動を起こしたうえで、合っているか否かを自分で判断する。それが正しい軸の求め方だと思います。
中略
知識としては知っているんだけど、実行には移さない。そんなケースは多いです。理屈ばかり突き詰めようとせずに、ごく自然に行動に移すことができるーーー知行合一とでも表現したらよいのでしょうか。
何らかの行動により、何らかの行動がもたらされる。それこそが、本来の健康習慣のあり方だと思うのです。
ひさしぶりにふくらはぎが出てきたww
講習会に行ったりYouTubeを見たり、それだけで知ったかブリーフな大人はかっこ悪い。知識を判断できる軸をどんどん太くしていかなくてはいけまへん、はい。
縮まらず 急がば回れ ふくらはぎ
ってことで〆。最後に揉んだりさすったり筋トレだったりの絵がちょこっと描いてあるが、特に真新しいものはなく。しかし、いわゆる「ふくらはぎ健康法」の本とは違い、「ふくらはぎ」を人それぞれ何かに当てはめて考えられる、非常におもろい本でした。