なんでもかんでも甘いって…。
夕方のニュースで、桧原湖のワカサギ釣りの様子をやっていた。
そこで、釣ったワカサギを唐揚げにして。
とってーーーも美味しそうに揚がった唐揚げ、それを食べた記者さんが
「甘くて美味しい♪」
いわかーーーーん!?! (゚Д゚)ハァ?
唐揚げが甘くて美味しいわけなかろーが!
ワカサギだぞ。魚だぞ。
甘かったらまずいんじゃねーの?
どゆこっちゃ。
甘いのが美味しいのか。甘くないのが美味しいのか。
野菜は「甘い」
野菜を食べて「甘くて美味しい」という感想を叫んでいる様子をTVでよく見る。
サツマイモとかカボチャとかは「甘くて美味しい」野菜だ。
しかし、生で食べても甘くはない。
だけど、畑で土がついたままのタマネギや大根にかぶりついて、なんでもかんでも「甘い」というのはいかがなものか。
言いたいことはわかるが、「甘い」というより「味が濃い」ってことじゃないのか。
野菜が「甘い」というのが、良い野菜の代名詞みたいな風潮があるけど、もっと他に言い方はないものか。
スイーツは「甘くない」
その反面、デザートなどなど甘いのが当たり前なものに対しての食レポの感想がここぞとばかりに「甘くなくて美味しい」って絶対言う。
言うぞ言うぞ〜〜〜!と思って見てれば絶対言う。
とはいえ、言いたいことはわかってる。
「甘過ぎない」とか「甘さ控えめ」とかそういうことでしょ。
このご時世、脳みそ溶けるほど甘いお菓子は、そろそろなくなってきてる。
「甘くなくて美味しい」以外に美味しい表現を聞きたい。
激甘なお菓子もまだある
うちの方には くまたぱん という気を失うほど甘いお菓子がある。
「くまたぱん」は黒糖水に小麦粉を混ぜて練り上げ
こしあんを包み込み小判型に成型して、
こんがり焼き上げた後に砂糖をまぶした素朴なお菓子です。
想像しただけで 鼻血がでそうになるくらい甘い。
これに向かって「甘くなくて美味しい」なんて言ったら失礼な表現になる。
たとえる技術を読んだから
たとえないより、たとえたほうがいい理由 は「感情の表現」だったり「オリジナリティ」だったり、そして何よりも「伝わりやすい」ということについて説明している。
正しく伝えるための方法ではない。
くまたぱんを食べたからって、鼻血は出ない。
でもそれくらい甘いってなんとか強く伝えたい感情の表現だ。
おいしさを伝えられる という項目に「おいしい!」を言うのには、タイミングと言い方の問題について書いてある。ただ「おいしい」と言うだけでは相手は満足しないかもしれないし「本当に?」と疑ってくるかもしれない。そんな時こそたとえだぞ、と。
そして おいしさのたとえは何よりも繊細さが必要なのだ と書いてある。
ただ、繊細な部分を無視して勢いでいくパターンが 彦摩呂方式 だ。
肉汁の宝石箱
肉汁のIT革命
肉汁の郵政民営化
繊細さは見事に消え去ったが、それを補って余りある説得力がある。肉汁にこだわりすぎたたとえよりも不思議とおいしさが伝わってくる。
この彦摩呂方式の最大の利点は、おいしくなくても使えるところだ。意味がわからなくとも納得させてしまうパワーがあるのだ。ある意味おいしさのたとえとしては正解なのではないかと思える
いざとなったらの彦摩呂方式、あらかじめ言葉を用意しておくためにニュースを見ておくべきだという結論。
実際、テレビ局の記者さんたちが、みんなで彦摩呂方式をしてしまったら「結局どゆこと?」ってなっちゃいそうだけど、意味がわからなくとも納得させてしまうパワー がたとえる技術にはあるということが、おいしさのたとえ以外にもあると思う。
ちょうど1年前に感想を書いた本に 本物の教養 というのがある。その本の中でも一番腑に落ちたことに、 出口流・知的生産の方法「何かにたとえて」考える ということを書き出している。
たとえられる人を頭がいいと。
たとえるためには、ボキャブラリーが大事 と一年前と同じことを考えている。
まったく成長がない。
ちょっとこれからはたとえる修行をしていこうと思う。